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165系「アルプス」のサハシ165の向きって

どうも~(^^)/

10-1389 165系 急行 アルプス 8両セットを買ってくると下の画像のように車両が入ってます。
サハシ165って逆ですよねってポポンデッタ蘇我店に行ったときに気づきました(;^_^A
しなのさかいの駅前広場」さんをいつも愛読しているのですが、その中でサハシ165についての記事がありました。その後「隠密無芸帳2」さんのブログ(こちらも愛読してます)でも書かれていました。

添付の説明書を見るとサハシ165の向きはビュッフェがクモハ165-72側なんです。
余談ですが、サハシ165-54のところで「昭和50年以降は自由席」ってなってますが、昭和44年の時刻表では自由席になってますので、説明書での「アルプス」ではなく「たてしな」の方を指しているのでしょうか?

話は戻りまして、説明書の写真ではあら~サロの後ろにサハシ165がしかもビュッフェがサロ側になってますね。

Wikipediaから食堂車についての引用になってしまいますが、

この当時は1・2等車(現・グリーン車)の客しか使用できず、官営鉄道・日本鉄道でも同様だった[44]。利用区分を設定した理由として、利用者層の日常的な生活習慣などを考慮[39]、3等車の客には当時行儀の悪い者が多かったため1・2等客に不愉快な気持ちを抱かせないようにする配慮、あるいは本来の座席より良い車両で漫然と時間を過ごすことの防止[46]であったとされる。その後、1903年10月から山陽鉄道では閑散時間帯には3等客への部分開放を行ったが、3等車から1・2等車内を通って食堂車へ来るのは禁じられ駅に停車しているときに車両の外を移動することと身なりを整えることが求められたという。鉄道院でも、1919年8月から「一部食堂車に改造を加えあるいはその連結位置を変更」して列車全体の旅客に開放した[47]。食堂車を挟んで1・2等車と3等車を分ける施策は、戦後の初期(1950年代)まで続けられた。

戦前までの列車編成は、食堂車が優等旅客を対象としていたことやさらに上級車両を下級乗客が極力通り抜けないように等級を区分する位置に編成されていた。戦後になっても基本的に踏襲されたが、連結両数の増加に伴いフレキシブルに対応されるようになった。

この流れから「アルプス」のサハシは方転して組成していたようです。
この他に床下の引き通し管の位置などあると思いますので、どこかのタイミングで改造されていたのかそもそもこの向きでしか連結出来ないのかはおバカな横濱ではわかりません。

ググると冷房改造時(ビュッフェ以外)に山側海側両方に引き通し管が配管されたような事も出てきますが、正確なソースは出てきません。
↑こちら2015年度版のKATOのカタログからです。
ビュッフェはサロ側にありますね。

編成美で見るとサロ側にビュッフェがある方がきれいですね。

よくわからない内容になってしまいましたが、アルプスではビュッフェ側をサロに向けるのが正解のようですね。

本日も、くだらない備忘録にお付き合いありがとうございます。

 

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